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 「本当のチャリティってなに?」 2001.2.26 
今週は台湾に招待される事になった。「ユナイテッドウェイ、台湾」というチャリティ運動の記者会見でぶぶチャチャについて話すことが仕事で、ぶぶチャチャの台湾のエージェントがぶぶチャチャをからめてチャリティを行うらしい。この事はまたの機会に書くことにして、今日は私なりに考えるチャリティの意味について話そう。ちょっと残酷かもしれないが、お許しを。私は日本で生まれ育ち、夏休みには毎年親の母国のパキスタンに帰っていた。私が小さい頃は日本とパキスタンの差は大きすぎた。ほとんど毎年カルチャーショックだった。でもいまでは毎年連れてってくれた親に感謝する。いろんな事を学んだが一番すごかったのは、貧富の差の激しさだ。話は長くなってしまうので、とりあえず端折って、肝心なところに行こう。私が14歳のころ、いとことドライブしている途中、信号待ちで子供達がよってきて、いろんな物を売りつけてきた。インドなどに行ったことのある方なら経験はあるだろうが、お金がなく食べることもできない人達はそれはもうびっくりするほど多い。子供達も例外ではない。貧しい子供達は幼い頃から働きに出たり、道端でお金をねだったりするのである。私は14歳にもなると、お金をもらった時に心の底からお礼を言っている子供と、適当にお礼もしない子供の見分けがついてた。その日は結構暇で、お腹もすいていた。「え〜い、ついでだ、そこらへんの貧しい子供達をみんな連れて来い、ご飯食べさせてあげるから、でも子供だけだぞ」と5歳の櫛を売っていた子供に言った。30分後、14人もお腹をすかせた貧しい子供が集まった。ほとんどの子供達は2、3日ほど何も食べていなかった。でもこれはいつものこと。ドライブイン形式のレストランに行き、外にいっぱい食事を頼んだ。みんなに鳥肉や美味しいパン、飲み物をご馳走した。みんな泣きながら美味しそうに食べていた。すると、1歳の赤ちゃんをおぶっていたある5歳の男の子が、赤ちゃんのためにミルクを買ってくださいと私に言った。3日間なにも食べていない5歳の子が、先に1歳の弟にミルクを飲ませる姿は今でも忘れられない。しかしもう1つ驚いたことがある。まだパッケージを空けていないロールパンをポケットに入れている子供がいた。するといとこが「持って帰るのはだめだぞ、食べていけ」と言った。私はいとこに怒りを込めて言った「彼が自分の食事をどうしようと勝手じゃないか」。するといとこが「貧しい人達は小さい頃から、まず親に食事を持ってくるよう言われている。持って帰れば親に渡す、又はどこかで売るだろう。そしてそのお金も親に渡すんだ」。私には貧しい人達のその感覚が全く理解できなかった。ともかく、その日はいいことをしたと思い家に帰った。でも夜になってふと考えた。私は本当にいい事をしたのだろうか。
 「アクターズスタジオ」 2001.2.19 
最近はまっている番組がある。勿論はまっているアニメは多いが、ここではあえてその他の珍しい番組の話をしよう。番組名(英語)はアクターズスタジオ。日本語の題名は確かちがった。毎月最終日曜日の夜遅く(「ガキの使い」が終わってからなので多分12時ぐらいだったと思う、NHK総合)。「なんや、番組名も時間も覚えてないやないかい!それでもはっまとるちゅうんか?」と自分に突っ込んでしまうほど皆さんには申し訳ないが、とても好きなのだ。これはアメリカの番組で、オスカーを受賞したことのある超有名俳優、女優を招いてのシンプルなトークショーだ。映画製作者養成学校での収録、俳優や脚本家の卵たちが観客で、学校長的人物が司会、そしてBGMもながれない。こんなシンプルな番組だが、内容はめちゃめちゃ濃い。鋭い質問に対し、本音で俳優達は意見を述べる、明日のスターを目の前にして。俳優になる予定がなくても結構人間としてためになる番組だ。2月25日はアンソニーホプキンズがゲストだ。NHKさんもよくこんな番組を見つけてきおったわい。気が向いたら見てください。なんや、ただの番組宣伝やんけ。

追伸:番組名等分かりました。 NHK教育、毎月最終日曜日、夜11:55分、番組名は「XXXX自らを語る」。例えば「アンソニーホプキンス自らを語る」とか「メリルストリープ自らを語る」。
 「え〜?!チェリスト?」 2001.2.13 
シンガポールに出張で行ってきた。そこで出会った人の話をしよう。彼はプロのチェリスト(そう、チェロ弾き屋さん)、39歳。お父さんは指揮者、お母さんはバイオリニスト。彼は学生の頃、シンガポール政府の奨学金でチェロを勉強しに7年間ドイツに留学した。しかし、シンガポールに戻るやいなや、プロの音楽家にはもう興味ないと親に告げ、シンガポールでバーを開いた。彼のお父さんは2年間、彼と口をきかなかったそうだ。ところで、彼のバーは借金の取立て屋がよく通っていた。彼らの仕事は企業に代わって借金を取立て、企業から手数料をもらうことであり、決してギャングではない。ある日彼は思った、なぜ企業は同じ間違いを繰り返し、お金が帰って来ないところにお金を貸したり取引したりするのだろう。そこで彼は企業格付け会社を作った。そして今や1500社以上もの顧客をもち、シンガポールとマレーシアで300人を雇う社長だ。彼は私にこう言った、「この会社を作った時、アメリカの格付け会社がとっくにシンガポールに進出している事は知らなかった。知っていたら、まだバーをやっていたかもね。」でも彼がいくら私に自分は音楽家ではないと言っても、彼と4時間も色々と話して感じたあの繊細な部分はまさに音楽家そのものだった。人間が秘めている可能性はとてつもなく大きいもんだ。
 「タップ」 2001.2.5 
友人の川平慈英が出演しているタップダンスミュージカル「Shoes On 2」を見に行った。出演者7名のリズムとステップが絶妙なまでに合っていて、そして演出上いろんな要素が詰まっており、私は大変感動した。2時間があっという間に過ぎた。まさに、エンターテインメントだ。すげ〜!自然に「ぶぶチャチャにタップ」というアイデアが頭に浮かんだ。幕が下りて楽屋に挨拶に行ったときの私の第一声は「ぶぶチャチャでタップやりたい」だった。みんな力になると言ってくれた。早速、アミノ監督、桶谷さん、安西さん、越知さん、野澤さん(いつものぶぶチャチャ本読みメンバーだ)に希望を伝えた。これでお膳立ては出来た。が、どんなお話にしよう???
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